21 posts categorized "音楽"

トノバン逝く

トノバン。加藤和彦さんが、軽井沢のホテルで首吊り自殺…
享年62歳。細野サンと同級生なんだよな…

第一報をネットで知ったときまず最初に思ったのが、
「どうして…」
絶句した。

トノバンを初めて知ったのはサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』。YMOを経由した後に遅まきながら聴いたのが彼の唄を知るきっかけだった。
自分らの世代ではフォーク・クルセダーズ等に対しての思い入れなどは全く無く、ミカバンドにしてもYMO以降に知ったくらいで…。
そんなトノバンに対する当時の印象は、YMOの流れに便乗している…キザなオッサンというカンジだった(苦笑)

ミカバンド解散後、{ミカバンド=YMO}人脈を駆使して作り上げられた「ガーディニア」から「ヴェネチア」までのソフトロックからニューウェーブの時代を経て、ヨーロッパ的なロマンチシズムに裏打ちされた彼特有のダンディズムを体現させたソロ作は、ブライアン・フェリーの向こうを張れるほどの存在感があったと思う。そこまでは結構好きで聴いていたが、そんな彼の根底に宿している本質は日本では殆ど受け入れられることなく、"知る人ぞ知る"、ミカバンドの~、フォークルの~的な評価しか下っていないのではないだろうかと…。
音源を早回しにした「帰ってきたヨッパライ」のフォークル時代、日本で初めてコンサートにPAを持ち込み、ロキシー・ミュージックと全英ツアーを行ったミカバンド時代を経て、ヨーロッパ三部作を始めとする海外録音で作り上げた数々のソロ作…と、いつの世も常に先進的な感覚、時代を捉えるセンスに長け、それを自らの作品に遺憾なくフィードバックできる数少ないアーティストだったのだが…

20年ほど前、桐島かれんを迎えてミカバンドの最初の再結成以降、伴侶の安井かずみさんを亡くされ、それ以降は自分もあまり彼の活動には関心を持たなかったが、数年前には木村カエラを迎えて再々結成したミカバンドでは、額は後退すれこそジジイになっても相変わらずダンディでお元気なお姿お見受けしていたのに、どうして今の、この時に自ら命を絶たなければならなかったのか…
それだけが気がかりでなりません。

86年だったか…FMの特番で、幸宏と小原礼、大村憲司、越美晴、スティーヴ・ジャンセンなどを始めとする当時の幸宏バンドのツアーメンバーと一緒に、New York Confidential,I Saw The Right、その他数曲をセッションしていたのが思い出されます。
ユキヒロくんはかなりショックだろうな…

とにかくご冥福をお祈りします。

1985年に行われた国内のミュージシャンが総結集した『ALL TOGETHER NOW』(はっぴぃえんど再結成や山下久美子のポロリなんかがあった)
これは本来、ライブエイドに組み込まれるはずだった伝説のイベントで、自分も初めて見るんですが、その中で結成された、『サディスティック・ユーミン・バンド』(加藤・高中・高橋・坂本・後藤・ユーミン)の演奏でこの「シンガプーラ」のほかにも、YMOの「Seoul Music」、ユーミンの「Down Town Boy」など、各メンバーの曲をメドレーで演奏した一風変わった構成。初めから商品化される予定が無い記録映像としての側面が強いようで、雨上がりのあとの靄なのかスモークなのか、おぼろげに映し出されるメンバーの姿がどこか幻想的。

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おひさしぶりっす!

ご活躍のようで何よりでございます。
まさに青天の霹靂。こんな形でネット上での再会(一方的な)があるなんて...
...そう、私はちょうど20年前までY先輩とバンドをやっていたドラムのK森っす。ご無沙汰してまっす!

私がバンドをやめDJの真似事をやりつつ、アメリカに逃亡してからというもの、先輩の同級生だったKさんのバンド、"M"は、私も一緒にバンドをやっていた事があった同じ学校の下級生だった"I"が加わりメジャーデビュー...と、そっち方面の話はよく聞いていたんですが、先輩がどうしてしまったのか...それは、私が気になっていたことのひとつでした。
どういうリンクを辿ってか...確か"M"の関連で先輩の名前を冗談でググってたら先輩のサイトに辿りついたんだったけか...このK森、誠に失礼ながら、これまで一向に聞こえてこない先輩のお噂、近況に、先輩は音楽から足を洗ったものだとばかり思っていまして、そんな時、自分のYMOとは別のもうひとつの原点回帰、"BOφWY"、ひいては、"バンド"というものへの憧憬が再び蘇り、"あの頃"の時代がとても懐かしく、40になって、かつてたしなむ程度の腕前しかなかったギターを再び始めた次第であり、「先輩、どーしてんのかなー」なんて思うことしばしば...

さて、先輩のブログやフォトギャラリーなどで見れる最近のお姿、昔とまったくお変わりなく、凛々しくクールな容貌に、怖くて冗談なんか言えなかったあの頃の自分に戻ってしまいました。いまや、自分も結婚を二度し、別居...と、壮絶な私生活を送りつつも安定した職を得てそこに逃げ込んでしまいましたが(自分のやった事と言えばジャガーを再び活動させるきっかけを作った事ぐらいかwww)、自分は昔から"I"がメジャーに行けて先輩が行けないはずがない!と常々思っておりましたが、数年前からご自身のバンド活動と平行しつつ某大物シンガー(女)のサポートをされているとのことで、それが、本当に自分の事のように喜ばしく思っております。

それにしてもウチの学校は凄いわ。ホントに"バンド学区"だったんだなと実感しております。
特に先輩達の世代は、今でも活躍してる方々がたくさんいて、さすが"コムサデとんねるず"優勝は伊達じゃねぇぇぇっ!!!なんつってwwwww

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MJ is Dead

今朝ネットをパラパラやってた時に知った、マイケル・ジャクソンの死。享年50歳。
どうゆうわけか、最初に思ったことは、「ああ…やっぱりな…」だった。
そんな”予感”は、幼児虐待あたりからのエキセントリックな行動が最初で、ほんの数ヶ月前、いきなりの長期ロンドン公演をぶち上げたとき、それは、死地へ向かっている”予感”ではなく”実感”に変わり始めていた。
自分的には、別段強い思い入れは無いものの、女を釣るために『BAD』の頃、東京ドームに観に行ったことがある。その頃ってのは、HIP HOPや、NJSの誕生間近のR&Bの勢いが次第に大きくなりつつあった頃で、『Off The Wall』からのプロデューサー、クインシー・ジョーンズとの大作然とした作品のマンネリ化が、これをピークに音楽的には本来のブラックミュージックからかけ離れ、同じ黒人からは揶揄されていた時期。実際、HIP HOPやNJS旋風吹き荒れる前夜、ディスコでマイケルの曲など掛かることが無かったし、仮に掛かったとしてもノリにくかっただろう。後に、時の人、テディ・ライリーに擦り寄って作り上げた『Dangerous』では、”天井人下野”じゃないけど、はやりの音で、バルセロナオリンピックのドリーム・チームに沸くマイケル以上のスーパースター、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンをなりふり構わずPVに駆り出し(エディ・マーフィー、Heavy D、ホーム・アローン人気のマコーレ・カルキン、ガキラッパーのクリス・クロスなんかもいた)権威回復を目論んだが(結構いい曲が多い)、そんな直後の虐待報道。それ以降のマイケルは、音楽的な評価以前に好奇の目に曝される珍獣のごとく扱いで、後の『HIStory』ではR.Kelly人気にあやかった『You're Not Alone』があったものの、以前ほどの注目をされることはもうなくなってしまった。

さて、芋ヲタ的には、YMOとマイコーの関係も語らなければならないだろう。
YMOのセカンドアルバム『Solid State Survivor』に収録されている『Behind The Mask』。いかにもロック然としたコード進行で作られたこの曲は、元々セイコーのCM用に78年製作したイントロ→Aメロだけだった曲にサビの部分を幸宏が追加して、『作詞:クリス・モスデル、作曲:坂本龍一・高橋幸宏』だったものを、プロデューサーのクインシーがLAのYMOのライブでこの曲を気に入りマイケル聴かせ、マイケル自身がメロディーを追加し補作詞をしたこの曲は当初、『Thriller』に収録される予定で、実際、トラックまで作られていた。そして、その話がYMOサイドに来たとき、マイケル側は法外な条件を提示してきた。

”版権を委譲し、クレジットにはマイケルの名前だけを載せること”

その話を前後して、作曲者である教授、幸宏間でこの曲の版権の分配を巡って争いをしていた…そんな問題がようやく解決した頃のこと、結局”作曲者”は、坂本龍一一人になったのだが、マイケル側から提示してきたその条件に加えて、「とりあえずどんなもん作ったのかデモを聴かせてみろや」という教授のオファーをもマイケル側は受け入れず、結局このトラックはお蔵入りになってしまった。後に、マイケルのアルバムを手伝っていたGreg Philinganesがそのマイケルが補作詞したヴァージョンでカヴァーし、何故かEric Craptonまでもがカヴァーして、周知の事となる。
あー、教授って凄いんだね。知ってたけど。[2009年7月7日加筆修正]

クインシーとの共同作業に脂が乗り始めた『Thriller』。派手なPVによって、表題曲だけがとりだたされるが、その最高傑作のアルバムの中に収められている『Billie Jean』。整形前の”本物”のマイコー。色も黒いし今見るとおかしな顔だが、それは、今を知っているからであって、その当時は何とも思わなかったのになあ。黒人であるというコンプレックスだったんだろうか。とにかく、ただただ合掌ですな。

マイケルの曲で一番好きなのはコレ。って、いってもリアルタイムでなく、DJを始めた頃にDISCOクラシックスとして聴いたのが初めて。80年代初頭親父に連れて行かれたムゲンの雰囲気が蘇ってくる名曲

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あの子

どうしてあんな子なんか好きになったのかしら

ふとしたときにこのフレーズとともにあの叙情的なアニメの映像に対するかすかの記憶が現れては消え、現れては消えていく。

麦藁帽子をかぶった女の子が”その男の子と”道ですれ違うたび、その男の子が女の子に気があるのか照れ隠しのつもりでかいつもいじめてしまう。女の子のほうも最初はそんな不遜な男の子の態度に嫌悪するがいつしかそれが淡い恋心に変わっていくという、まあ、こんな感じの歌詞の内容だった。
曲は『あの子』、歌うのは桜井たえ子。
子供の頃はどっちかというと『ポンキッキ派』で、ビートルズやオールディーズの曲を覚えたのも各ショートコーナーでBGMに使用されていたポンキッキで、アルファベットを覚えたのもポンキッキだった。放送される時間は違えどあまたある当時の子供向け番組の中でひらけ!ポンキッキは自分の中ではワンアンドオンリーなのだが、当然子供的には放送時間差があるので流れで順に見ていくわけです。で、この『あの子』ですが、この曲はポンキッキの前、朝の7時代、NTVの『おはよう!こどもショー』の中の歌のコーナーで、峰竜太や海老名みどり、ゴッドマン、ロバ君などの記憶は全く残ってなくこの曲だけのインパクトだけが強烈に残り、多分、80年初頭まで放映されたりされなかったりしていたんではないんでしょうか。

うそつきでいじわるで 約束はやぶる 
乱暴で口下手で 友達もいない
名前は呼び捨てにする 背中をいきなり叩く
リボンをほどいて逃げる 私をいじめてばかり
どこがいいのか あの子 何がいいのか あの子
だけどだけど 一日一回会わないと 気になるのよ 

自分が記憶しているのは冒頭の「どうして~」からつづくこのワンコーラス目だけ。動画サイトなどで探してみたが全く見つからない。当時のビデオデッキ普及率からして現存しているのが奇跡に近いだろうから仕方ないことだが、長年お蔵入りになっていた大都会全シリーズが日テレ+で放送される時代、ゴッドマンや小太郎を発掘したファミリー劇場あたりが一部でも放送してくれることを期待しつつ・・・

2009年8月5日追記
ようやく発見しました。しかしながら、動画ではなく音源のみのアップであります。
なんか、自分が記憶していたのとはちょっと違うような気もするんですが...

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THE ROOSTER"S"

まー本業の方が忙しい・・・とうのは建前ですが、ネタは沢山あるんですが、いかんせん文章にするめんどくささから更新を滞っておりました。お久しぶりっすK森っすwww(誰も見てないかw)
つーこって、久しぶりにブログの更新でもしますか・・・ってなモンで書いてますが、最近のネタとしては相変わらずYMOですな。今年も去年同様お三方が揃うようですが、HASYMO関係の楽曲を演奏するならYELLOW MAGIC ORCHESTRA名義でライブやらない方がいいんじゃないかのなんて最近思ってます。まあ、便宜上そう名乗るざる得ないのは分かるけど、以前ここでも書いたようにファンとしては過剰な期待を抱かざるを得ないんだよなこの名前でやられちゃうと。「昔の曲やれよ」っていう風になっちゃうんだよね。ニカの免疫もそれほどついてないもんでwww
まあYMOに関しては、最近はレア音源の収集ぐらいで、他にはまってるのがTHE ROOSTERS。"Z"じゃなくて"S"のほうね。いわゆるオリジナルメンバーの初期の頃のやつ。申し訳ないが、ハッキリいってこのオリジナルメンバーの時代はリアルで全く聴いてなかった。もちろん存在は知っていたけど。じゃあなんで今頃ROOSTERSなのか?きっかけは偶然だった。CSで大江慎也のドキュメント『どこへ行こうか』を見て、やられた。完全な見落としだった。ガキだったこともあり、当時はBOφWYの影に隠れていた。ルックスで。っていう軽薄な理由で。
そのドキュメントで、フジロックの再結成解散ライブがちょっと流れてて、年食ってみんなオヤジになっちゃったけどこれがかっこいいんだ。氷室や布袋には出せない風格。かつては一歩間違えればジャニーズ系?とも見えた大江は、特に苦悩の時代を乗り越えて来た風貌から特別なオーラが画面からにじみ出てた。自分自身、40を目前にした今だからこそ理解できたのかもしれない。
それがROOSTERSだった。
とりあえず、「ニュールンベルグでささやいて」は名曲だと思う。

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SIMMONDS SDS-5

Simmons_2
83~85年あたりまでの日本の歌謡曲でよく使用され、YESのロンリーハートのオーケストラヒッツと共に、一世を風靡したといってもいいシモンズのシンドラ。
英国SIMMONDS社の製品で、各パッド毎にモジュールがあり、タムの乾いた音色が特徴。かつてYMOが使用した、ピュンピュンいってたアルト・サウンドやポラードのシンドラとは全く別次元のもので、私の場合、83年のYMOの散開ツアーで、ユキヒロのドラムキットとして使われていた事で初めて知ったものなのだが、それ以前81年ごろには既にジャパンのスティーヴ・ジャンセンが使っていたから、日本に入ってきたのが遅かったのかな?

六角形のパッドが特徴的で、散開ツアーのユキヒロの場合は、ベードラ、タムはそのままの音色を使っているが、スネアに関しては、リンドラムをトリガーさせ、ご丁寧にもパッドは、スネアスタンドに鎮座させて、ウインターライブの時の649のトリガーで鳴らしてたスネアを多少ピッチを高めにしてリヴァーヴをかけて鳴らしていました。
このシンドラが、中森明菜の「禁区」のイントロや、C-C-Bの笠の基本キット、ついにはシブがき隊の薬丸がステージに置いてイントロで叩いたりと、歌謡曲などでの使用で一般的に認知されると、今度はドラムの各メーカーがこぞって類似品を出し、イシバシ楽器には、「ROKKAKU-KUN」なるパチもんまで登場します。

個人的にはPearlから出たヘッドをチューニング出来るヤツが好きだったですけど、当時のバンド編成上、全く使用する必要性が無かったので全く持ってませんでしたがwwwただこのシンドラのキットに収まっているユキヒロを見てその見た目のインパクトの強さがドラマーを志したきっかけとなったので、このシモンズのシンドラには、いくらデヴァイスが進化して過去のものとなってしまった今でも、憧れというか、このキットに収まってる自分の姿を想像したりしますwww

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ドラマーとしての記憶

つい先日、ふとしたきっかけで、実に17年ぶりにドラムを叩く機会があった。(といってもライブではなく遊びでですが。)
若かりし頃は、ほとんど毎日スタジオに入って相当な鍛錬をしていたのだから、久しぶりでもそれなりのことはできるだろうとたかをくくっていたら、これが相当にキツイ。
何がキツイのかというと、腕がすぐに疲れてリズムキープが出来ないのである。ルーズな8ビートならまだまだ様になってるとは思うが、ちょっとテンポを上げるともう追いつかない。16ビートなんてとてもじゃないが…。途轍もなくデッドなスタジオだったこともあり音の感触を感じにくかったので余計に力が入っていた事もあるのだろうが。

ドラムを始めるきっかけになった私の心の師匠、高橋ユキヒロ氏が、ミカバンドの再結成、Human Audio Spongeのライブと、しばらく生ドラムにご無沙汰だったが、ここのところこれらのステージでドラムキットの中に納まってる姿を目にする機会が多くなってきた。
かつての攻撃的な突っ込んだプレイこそナリを潜めたものの、スネアの音色から醸し出されるオーラは健在で、自分もまたドラムを始めたくなってきた。そんな時の久々のプレイ。
自分的には結構ショックで、たまには個人練習で練習スタジオに入るかななんて思っている今日この頃。

私がドラムを始めた頃、目指したのがユキヒロらしい”ジミハデ”なドラミング。そしてもう一つの標榜がBOΦWYの高橋まこと。あの頃ドラマーを志していた者にとって、彼の影響を受けなかった奴はいなかったでしょう。ギターをやっていた奴が布袋の影響を受けまくっていたのと同じで。
スピーディーでタイトな8ビートは勿論のこと、特に影響されていたのが、ゲートリバーブを通さないでもスパッと切れるスネアのチューニングと鳴り方。
彼と同じパールのスネアを買ってスナッピーの調節からミュート、皮の張り具合まで色々やってみたがなかなかしっくり来ない。せいぜい「リムショット」といって、スネアの面とリムを同時に叩く技術?を体得したくらい。音の鳴り方ばっかり気にしてるからうまくなるわけ無いんですよね。技術的には。

私が一番長く在籍したバンドが、ほとんどの曲が4ビートで、(ま、中途半端なハードコアバンドだったのですがw)このバンドにいたときには技術的には一番衰えた時だった。なんせリズムキープだけしてればいいようなバンドだったんでwww
その後BOΦWY的なビートバンドに引き抜かれた時は苦労した記憶がある。

当時、自分が目指していた理想のドラマーは、スティーヴ・ジャンセン。彼のようなドラムが叩けるようになりたかった。プレイスタイルも非常にクールだったし。ただ、ビートバンドブームだったあの時代に、ちょっとしたフレーズの引用はあってもなかなかああいったスタイルを技術的にも、バンド的にも確立するのって難しかった。それだけ全体的な方向性って全く同じ所に向かっていた時代だったし。

なんかまたバンドやりたくなってきた…オヤジバンドwww銀蝿のコピーとかでwww

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TUPAC AMARU SHAKUR

070323_050601 Death Row にいた頃の2PACはかつて”自らの作り上げたスキャンダラスな2PAC”像を更に増幅させてもがき苦しんでいた様に思う。

2PACとビギー…96年当時、東西、いや世界を代表する二人の死がもたらしたものは一体なんだったのか…
二人の死後から十年あまりが過ぎ、振り返って見ると何も残らなかった…二人の残した莫大なアウトテイクで金を儲けた奴以外は。
伝説とは往々としてこういった死をもってして作られるのだということがつくづくわかる。
HIDEや尾崎の早すぎる死もそのまま存命していれば同じようにカリスマとして今この時崇拝されていただろうか?しかしこの二人、特に2PACにおいては生前から過剰過ぎるほどのカリスマ性をあふれ出させていた。と、断言しても良いだろう。

Death Rowに移籍した後の2PACは、Dr.DREが用意したバックトラック、Roger Trautmanとの競演、「Carifornia Love」で鮮烈な復活をアピールした。
95年、アルバム「All eyes on me」はSnoop Dog,Dr.Dre,Roger,K-Ci&JoJoなど豪華な客演を収録して2枚組ににも関わらずプラチナとなり、そのタイトルからもわかるとおり、全ての目は彼、2PACに向けられ、一挙手一投足全てが大衆に晒されるような時代になっていた。
そんな時、客演でレコーディングに呼ばれていたスタジオのエレベーターで銃撃された時、同じビルの別スタジオでバッド・ボーイ一派がレコーディングしていて彼らが血まみれになった2PACを助けなかったことからかつては共演した事もあったバッド・ボーイのビギー・スモール、NOTORIUS B.I.G.が関与していると思い込みここに東西の抗争が始まることとなる。

私見であるが、この東西抗争、これはDeath Row とBad Boyが仕組んだレコードを売るための戦略ではないかと最近考えるようになってきた。
Death Rowの社長、シュグ・ナイトは、元々ギャング上がりのヤクザ者で、移籍金代わりに差し出したパックの保釈金140万ドルを後にパックに請求したり会社の方向性を巡ってDr.Dreと喧嘩別れしたりと所属アーティストに対して圧政を強いて、全てを自分の手中に納めようとしていた。パックが殺されたラスベガスのマイクタイソンの試合の後の車を運転していた時に銃撃されて手負いを負ったのもカムフラージュに思えてくる。

1996年。そしてラスベガスで銃撃された2PACは死ぬこととなる。東西を分けた抗争は一応の幕を閉じる。翌年ビギーが銃撃されて死ぬといういらないおまけつきで。自分は二人とも好きだった。唯、2PACの方への思い入れがビギーに較べて長い分2PACが好きなだけ。二人の死後自分はラップから足を洗うことになる。衝撃が大きすぎて新たなラッパーにに目が行かなくなっていた。

One and only

それが自分にとってのラップ、2PACの存在だった。

彼の死後発売された雑誌Vibeの表紙を飾った彼の遺影は、額に入れて今でも自宅の壁に掛けられている。

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Inter scope時代の”2PAC

2PACを知ったのは、1992年公開の映画「JUICE」。Juice_movie_1
この映画を見るきっかけというのが本編の所々に出てくるDJプレイのシーンだけだったという、まあ何ともミーハーぶりを発揮している当時アメリカ留学中だったK森なんですが、この映画、どうしようもなく救いどころのないエンディングで、内容の方は当時勃興し始めていた他の”ブラックムービー”同様お粗末なものでしたが…

しかしこの映画、アメリカでは大人気で、ビデオ化されるや否や品切れ店続出!? いくつかのモールを探し回り、BEST BUY、SOUND WEAR HOUSEなどなど行く先々で品切れ…っていうか仕入れ数少ないだけじゃないの!!?
そんなこんなでようやくCHICAGOのTOWER RECORDでようやく手に入れるわけですが…

前振りが長かったですが、こうして2PACを知ったわけです。
それまでもラップ関係はかなり色々と聴きこんでいましたが、パックがDU、DIGITAL UNDERGROUNDにいたなんて全然知りませんでした。
彼は、この「JUICE」での演技が高い評価を得て、翌年JANET JACKSONの映画の相手役、当て馬(正にそんな感じだった)に抜擢され、それと前後してStrictly 4 My N.I.G.G.A.Z.という2枚目のアルバムを出します。
Strictly_2
私のTHEME SONG、「I Get Around」を含むこのアルバムは、大きなヒットにこそなりませんでしたがJANETとの
映画「POETIC JUSTICE」、JANETのアルバム「janet」と共に自分にとっての1993年を代表するアルバムでありました。

1994年、映画づいていたパックがDEATH ROWとのタイアップみたいな「ABOVE THE RIM」に準主役で出演、THUG LIFEという兄弟だか親戚を集めたグループでサントラに一曲客演。これが後のDEATH ROW 移籍に繋がるのですが、この頃からパックの周りにはスキャンダルが絶えなくなります。誤認逮捕、レイプ疑惑、挙句の果ては数発の銃弾を受けて死のふちを彷徨い…とまあ挙げたらキリがないのですが、レイプ容疑で有罪になり投獄されていた時に、INTERSCOPE最後となる3RDアルバム「ME AGAINST WORLD」をリリース。 「DEAR MAMA」という名曲を残す。

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そして投獄中、DR.DREやABOVE~のヒットで勢いに乗るDEATH ROWの社長SUGE KNIGHTが140万ドルの保釈金を払いパックと契約。死への序曲はこの時流れ始めた。

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THUG LIFE

2pac__all_eyez_on_me__book_2 今でこそ何かといえば”YMO”しかいわない真性芋ヲタのK森ですが、かつてはブラックミュージック、RAPにどっぷり漬かっていました。
YMOも再々生して自分の中ではHASのステージを残してひと段落。更に2ちゃんでは本題に入らずにヲタライターの田山氏叩きばかりで易癖してきたので、そろそろYMOも止めようかな…と思っている今日この頃です。

それまで、ブラックミュージックにどっぷり漬かっていた要因は、ニューエディションファミリーやUPTOWN一派、パブリック・エネミー、デスロウ以前の2PACなどのカリスマ的存在があったからで、完全に興味を失ってしまったのは、2PACの死後、彼に変わるカリスマが現れなかったからに他ならない。一時期のアッシャーやデスチャ、50セントやエミネムなど、聴いてみたがどれもしっくり来なかった。

とにかく新しくはないけども90年代の音楽のメインは自分にとってブラックミュージックですので、これからはこれらブラックなアーティストに焦点を当てて行きたいと思ってます。

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俺をよろしく

Okita

CSフジテレビ721で放送されている「夜のヒットスタジオ」。
毎週楽しみに見ているのだが、権利上の問題(要はジャニーズ)で、飛び飛びで放送されながらもようやく1982年の1月4日放送分までやってきました。
この回では、再びヒロ君、沖田浩之が登場、「俺をよろしく」を唄っていました。
この「俺をよろしく」という曲、この放送を見るまで記憶のかなたにすっかり忘れ去られてしまったいて、
「あ~~~あったあった」
とじんわりと記憶が蘇ってきて、この一週間、ふと気がつくと口ずさんでいる程最近のお気に入りです。

ヒロ君というとどうしても「キャプテン翼」の主題歌か、「E気持ち」ばかりが取り上げられますが、何を隠そうこの私、当時ヒロ君の大ファンだったんですwww(どうしてまたw)

どういったきっかけではまっていったのかは定かでないのですが、たぶんに金八第2シリーズの影響はあったんでしょうねえ。まだレンタルレコードなどない時代、買いましたよ。ファーストとセカンドアルバムw
当時、コンソメパンチというポテトチップにはまりまくっていて、バリバリ食いながら「うる星やつら」と「Dr.スランプ」が大好きで、コミックスを読みながらウォークマンⅡでヒロ君を聴きまくってたのを思い出します。

自己紹介ソング、「My Name is HIRO」、ヒロ君自らが、ジェームスディーンの生き方をなぞらえるように当時の歌謡界の敷かれたレールにはのせられないと、醒めた一面を覗かせる「ジェームスディーンジュニア」、テクノな仕上がりの「ANIKI」、そして聴いているこっちがこっ恥ずかしくなってしまう台詞入りの「海よForever」。特にファーストからの曲はかなり聴き込んでいたせいか、未だにソラで唄えたりしますwww

しかし面白いもので、この曲を最後ぐらいで急に聴かなくなってしまうんです。まあ翌82年あたりからは”花の82年デビュー組”が控えていましたしそれにスイッチして行ったのかな?

その後、キャプテン翼でちょっと脚光を浴びますが、唄はコレが最後で役者一本でやって行くようになるわけですね。いい役者だったと思いますよ。山本陽子とのゴシップなんていうのもありましたけど。
「私をスキーに連れてって」の後、ドラマ、「HOTEL」でフロントマネージャの役をやっていたのが、私が最後に見たヒロ君でした。99年に理由は定かではないが自殺してしまいましたね。ほんとに残念だと思います。

「Don't touch me~俺をよろしく…」
というこの曲のサビの部分が誰も寄せ付けないがごとく孤高のヒーローとしての生き様を歌い上げている様な気がしてなりません。

「アイツの様に生きて、アイツの様に死んで…それが望みさ…」

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小室哲哉について

あららら…
このブログでは、ほとんど誰も見ていないのをいいことに、自分の思っていることを自由に書いてきました。今まで、ジャガーを除くいろんなバンドやアーティストについて批判などもしてきたのに、それに関しては一切コメントなど付いた試しがないのに、
”小室”
の名前を挙げたとたん、この反応。なんなんですかね?これは。小室ヲタは下手するとYMOヲタよりも執念深いというかなんというか…まあいいでしょう。こちらも言葉の足りないところがありました。、批判されるのもうれしいことではありますし。的を得ていればですけど。

YMO散開後、TMが出て来た頃は私も数あるYMOフォロワーの一つとして聴いていたことがありました。
個人的には、ファーストに入っていた「1974」。そして、セカンドアルバム、「Childhood's End」がニューロマンティックの影響下にあったためか結構聴いていました。宇都宮隆の鼻にかかった歌声には違和感がありましたけど、小室哲哉に関しては、彼がYMOのポジションで言う”教授”の役割であり、いずれはこのバンドも大きくなっていくんだろうな~みたいな感じで期待していたバンドの一つでした。

前項でご指摘の、

ちなみに、小室哲哉はYMOチルドレンの代表格であり(他にはテイトウワ・電気グルーヴ etc.)、それを継承させようとして作ったのがTM NETWORKというのはご存知でしょうか。

ということですが、コレは誤りだと思います。小室自身についての来歴や音楽的なルーツなどについては私は一切知らないし知りたいとも思いませんが、”代表格”という表現はいかがなものかと…。
”YMOチルドレン”というのはおおむね、YMOの全盛期から散開に至る時代に、小学生から高校生ぐらいの一リスナーだった人たちのことをさして定義され、この世代の子供達が、いずれ日本の音楽界を動かすだろうという予感をユキヒロが語ったものです。
この頃にチープなシンセを使って既に「スピードウェイ」というグループで音楽活動をしていた小室哲哉が”YMOチルドレン”の”代表格”とされるのはそちら側ではそういう定義なのでしょうが、おかしいと思います。
私が思いつくその定義にあてはまる人たちは、ご指摘通り、テイ・トーワと電気グルーヴ、他には、朝倉大介、大槻ケンヂ、小山田圭吾、富家哲、槙原敬之、上田剛士、今井寿など、他にもまだいるのでしょうが、明らかに小室とは世代が違います。

私が言葉足りなかったのか、今の音楽が、ここ十数年で新しい形を作りえなかったのが全て小室が悪いとはいっていないのです。一つの要因としての小室哲哉なのであります。彼は坂本龍一の後をなぞらえるかのように映画音楽に手を出してみたり、イギリス系のアーティストとコラボレーションをしてみたりしていましたが、どれも評価は低かったでしょう?そんな時に出会ったのが、”RAVE”であり”エイベックス”だったんでしょう?

音楽プロデューサーとして注目され始めた93年頃から、TRFから始まるいわゆる”小室ファミリー”が増殖していくわけですが、彼らは新しい形のアイドルであっても音楽的に何かを残してくれるアーティストであったというのは私的には気が引けます。この”ファミリー”がなしえた偉業といえば、消費される音楽、言い換えればカラオケで歌われるための音楽を無尽蔵のごとく生産していったことでしょう。小室が手掛けた楽曲の総売上枚数だけだったら、誰も勝てませんよ。

鈴木亜美が、「Be Together」を唄った時、
安室が小室の手を離れた時、
globeにYOSHIKIが絡んだ時、
チッチキチーをプロデュースした時。
そして、細木数子の正月番組にKeikoと一緒に出演した時、

あなたは何を思いましたか?

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80年代への回帰が止まらない

小学5年生の頃、初めてYMOに出会ってから既に四半世紀が過ぎ、腹の出っ張ったオヤジに成り下がれば、細野も今年還暦を迎え、教授の頭は真っ白になり、ユキヒロは額の後退具合がハゲしく、時の流れをいやがおうにも感じぜざるを得ない2007年。未だに私はこの三文字を追い続けている。これは、私が死ぬまで続くのだろう。

昨年末、リリースされた一風堂のボックスセット、”MAGIC VOX IPPU-DO ERA 1980-1984”
によって、”あの頃”に魂を奪われたまま、今度はYMO関連の書籍のリリースラッシュ。
更には、ヤフオクで、絶版になった書籍を落札しまくり、You TubeではYMO関連を含めての”80年代”の動画をダウンロードしまくり、完全に現実逃避に成り下がっている今日この頃です。

新らし物好きだったガキが、歳を重ねていくにつれ過去ばかり振り返っているのは成長が止まって、退化している証拠か。面白いことにYMOの三人の今にはあまり興味が沸かないのである。勿論、チェックはする。教授のソロや、スケッチショウしかり…。しかし、なんなんだろう。のめりこめないのである。

今も、つい先日、Amazonで、85年にNon-Standardからユキヒロプロデュースにより、長い間絶版になっていて、”テクノ歌謡”などともてはやされて再評価の動きがあった数年前に、PヴァインからリリースされたUrban Danceのファーストを注文して到着を待っているところである。

この15,6年間ぐらい、いろんな音楽は進化することなく、新たな音楽スタイルを提示してこれなかったような気がする。コレは、エイベックスや、小室の罪によるところが大きいと思う。一見、新しいものを取り込んでいたように見えるが、それはうわべだけのことで、根底に流れているべき普遍的なモノ、それが欠如していたのかも知れない。だから小室は失脚したし、それにつながる枝葉の連中は軒並み姿を消していった。幸田来未なんて、音楽的に評価する奴なんていないでしょ?

新たに熱中できる、YMOも忘れてしまうぐらいのモノがでてこないからだろう。かつて自分は、ラップやR&Bにそれを見出していた頃があった。だが今は絶対的なスターが不在になってしまっている。2パックが死んでから…。

普遍的なモノ。それを踏襲しつつ、それを革新なモノで表現する。自分は、一貫してそういったものにその時代時代に傾倒してきた。今、自分の中では、スケッチショウと、m-flo、クレイジーケンバンド、これぐらいしかそれに当てはまるものがないし、それでもYMOを超えるほどの物ではないのである。

次々に新しいものが出てきては消えた80年代、色々なものに深く傾倒できたのも若さゆえなのか、それとも…

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すみれSeptember Love

土屋のソロ、幸宏ツアー、矢野顕子のサポートなど、ラジオ・ファンタジーを出した後はライブ活動がなく、そのままJAPANの「Sons of Pioneer Tour」に参加してしまい、この「すみれ~」のヒットでオリジナルメンバーが久々に揃ったものの、最後の藤井氏参加となってしまったのがこの「ザ・ベストテン」のロンドンでの録画中継。
しかも口パク。
メンバーよりも、”ロンドンの風景をお楽しみください”的な演出は当時、コレに限らずベストテンの演出自体が大っ嫌いだったのを思い出した。

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再認識

先日Amazonで予約購入したMagic Vox Ippudo Era 1980-1984 [CD+DVD Limited Edition]が既に完売状態になってますね。大体私と同じ世代(40台前後)の人達の潜在的なニューウェーヴ魂に再び火がついたようです。

それはさておき、2ちゃんの伝説板の一風堂スレではこのボックスセットの監修者田山三樹氏の監修の甘さを指摘されて”田山叩き”が起っていますが(氏はYMOヲタの間では吉村栄一氏、佐藤公稔氏と共に常に批判の対象)。

そもそも田山氏が叩かれる要因の一つである「YMOとの比較」。
この比較こそが素人丸出しの知識であるということが、ほぼ同時期に活動をしていたということと、矢野顕子や幸宏ツアーのサポート、ジャパンとの交友から、さもYMOファミリー的な扱いをしてしまうのは致し方ないとは思うのだが、二つのバンドを知れば知るほど全くの別物である無意味な比較であることに気づく。
YMOと比較するなら同時期のシナロケやプラスティックスなどが比較の対象だろう。まあそれでもアナログからCDの時代になって初めての全作品(ルナティック・メニューを除く)商品化なのでそこは評価されるべき。

↓お化けと水死体w

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間奏に見る時代性

若かりし頃は、中古レコード屋でバイトをしていたこともあって、下は糞糞歌謡曲から上はJAZZやCLASSICまで、さまざまな物を吸収したものですが、一時期、自分的に、『グッと来る』曲をひたすら探してるという時期がありました。
自分の音楽趣味形成においてとても重要なYMOを中心としてのテクノ前夜から、散会後あたりまでの時代の歌謡曲、ニューミュージック、ロック。特にそれらの間奏には、その時々の時代を反映させるような音やアレンジが『グッとくる』。
いわゆる、『間奏フェチ』w
では、『グッと来る』定義は何なのか。
特に決まったモノはないんですが、70年代後半から80年代中盤までの歌謡曲聴いていたその時は何も感じないけど何年か経って再び聴いたときにグッと来るヤツ。さらにかつてグッと来たそのものに似通った印象を与えてくれる曲。

例えば、

桑江知子の「私のハートはストップモーション」

この曲が世に出たのが、テクノ黎明期、多分78年頃でしょうか?間奏に出てくるシンセのソロが、ムーグあたりのモノフォニックな、今となってはとても温かみのある音なんですね。
で、時代は80年代後半に飛んで、

工藤静香の「MUGOん色っぽい」

この曲の間奏なんかは、昔にグッときたモノに同じものを感じる後者。でも、何かに似てるとかじゃなくて、雰囲気が、ってことなんですね。アレンジは、後藤次利。ナルホド。

これなんかも間奏のアレンジはグッとくるヤツですね。

ジューシーフルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」

これは、近田春夫プロデュース。納得。

南佳孝「スローなブギにしてくれ」
ゴダイゴ「銀河鉄道999」
山下達郎「Ride On Time」
西城秀樹「愛の園」

まだほかにもたくさんあるんですが、取り立てて言えるのが、当時のロック、特にニューウェーブあたりの人脈関係、要はYMO周辺にいた人間が手がけているモノが多かったということ。

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Yukihiro Takahashi

ミカバンドの再結成と平行して、ユキヒロが1999年の「The Dearest Fool」以来、久しぶりにソロアルバムを出します。

2006年3月15日(水) 高橋幸宏 「タイトル未定」】
CD : TOCT-25939 ¥3000 税込価格
詳細不明

前作「The Dearest Fool」は、それまで離れていた自分を再びユキヒロに戻らしたアルバムでしたが、どうやら今回は、その流れを汲む作品のようです。
自分は、YMOの時にユキヒロファンになり、ドラムを始めたきっかけも彼の影響によるものです。自分の師匠でもあります。
87年に出した「・・・Only When I Laugh」までは、毎年定期的に出されるアルバム、それに平行して行われるツアーを大変楽しみにしていたんですが、88年東芝EMIから出された「EGO」には、布袋がギターで参加したというトピックがあるものの、内容的にはひどく落胆させられたものでした。
このEMI移籍は当時のミカバンド再結成に伴ったなにやら政治的な側面があったと思われる。自分的には、このEMI時代は黒歴史となってて、この時代はまったくユキヒロのソロは聞いてない。
今回も、なにやらその流れと同じになってきましたが、自分も歳を取りYMOの影響がまだガチガチに残ってたあの頃よりは余裕を持って聞くことができるかも。とにかく期待。

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さくらんぼ

昨日、大塚愛の「さくらんぼ」という曲を耳にした。
昔、F横のモーニングステップスでよくオンエアーされてた曲だ。
あの、「イエィッ」っていうヤツがすごくむかつくヤツだ。
カラオケとかで、オヤジが声色変えて歌ってるキモイヤツだ。
ふと携帯エロ動画を拾ってた時に見てしまったようたんが歌ってたヤツだ。
気分が悪くなってきた。腹立たしい一日だった。

しかし、俺は、ようたんを知ってても、大塚愛を知らない。

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ミカバンド再々結成?

サディスティックミカバンドが再結成する、した?そうです。
何でも3代目ミカは、木村カエラ・・・・誰?
そもそも何でまたやるんですかね?ビールのCMとはいえ。まあもともとお遊びみたいなバンドだからそれ自体はかまわないんですけど。せめて同じ「ミカ」ということで中島美嘉にしてくれれば自分的にはもっと盛り上がったんですけど。
それはそうとなんです?アノ加藤和彦のアタマの後退具合はw ユキヒロをはるかに超えてジジイになってしまいましたね。しばらく見ないうちに。

前の桐嶋かれんの時に既にシャープさを失っていたご老体方ももう見たくないしなあ・・・・
とりあえずこのメンバーでの「黒船」はもう一回聞いてみたい。
「たいむまちん~」はいらんですよw 
後藤次利と今井裕呼んでサディスティックス再結成してくれた方が面白いんだけど。

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Instant Love/BOφWY

http://www.douga-ch.net/files.php?no=3799&junle=music

これはかなりレアですね。リアルでは群馬県民しか見れなかったというw
ちょうどベルリン録音の3rdが出る前後ぐらいのころでしょうか?
自分的には、この頃が一番好きですね。初の渋公あたりまで。
「JUST A HERO」から先は昔も今も好きになれんっす。
それにしても氷室めちゃくちゃワルそうw

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春先小紅・矢野顕子

http://www.douga-ch.net/files.php?no=3043&junle=music

このベストテンはリアルでは見てなかったのでちょっと感動。もう少し画像が鮮明だったら・・・

Synth:坂本龍一
Drs:高橋幸宏
Guiter:大村憲司

あと、Bassが誰なのかこの動画からはわからないですね。

それにしてもこの豪華なバックバンドはこの後Steve JansenとMick Karnをプラスして、「愛がなくちゃね」のレコーディングにスライドしていくんでしょうね。

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