けいおん!

唯…かわいい。
りっちゃん…同じドラマー同士
ムギちゃん…たくわん(大爆笑)
でもねー…おらぁー澪にマジ惚れしたっフ。あのおみ足鑑賞してるだけでTake To The Bridge状態っフw

いまやかなりヤヴァイ状況で進行しているアニオタ度…っていうか二次元嗜好。好きな属性はツンデレ種。
全ての元凶の始まりは『るろうに剣心』だったのかもしれない。ジャンプ連載初期の御庭番編の初登場から、ツンデレな恵に惚れて、後にアニメ化されて恵の作画にがっかりしたりして…。それまでそんな見方では、一部の例外を除いて漫画…アニメを見たことなど無かった。が、しかし、それも京都編、OVAの人誅編で終わったはずだった。そんな思いは『るろ剣』だけに限ったものなのだと...
ちょうどその頃から結婚を前提とした前の女房との付き合いとかがあって、2次元に"萌え"を見出す事なんてなくなっていた。一部の例外…そう、ガキの頃からの"ファースト原理主義"ともいえるほど偏愛した『ファースト・ガンダム』を除いては…。その中でセイラさんしか知らなかった自分が、Zガンダムを30代になって遅まきながら体験し、エマ・シーンに恋した時から、今のような状況になる事は間違いのないことだったのかもしれない。
そして、ルー・ルカ(ZZ)、クリスチーナ(0080)、ニナ(0083)、マーベットさん(V)、ノイン(W)、フレイ、ラクス(SEED)とガンダム系女子を制覇して行き、その余韻を踏まえつつケロロ軍曹に嵌り、Gunsliger Girlのトリエラ、ハルヒ、かんなぎのつぐみ、そして、今更のきまオレ…と、全部、CS放送、強いて言えばアニマックスの影響とかが大きいかと…

と、長々と自分のそんな遍歴を述べてきちまいましたが、けいおん!の話を…
いや~とにかく、澪の存在。これに尽きますな。バンドをやっていた自分としては、もちろん音楽的なところとかも嵌るきっかけとしては重要なファクターではあるんですが、
"黒髪のロングヘアー"
"切れ長の目"
"グラマーな体つき"
"怖がり"
"恥ずかしがり屋"
…とツンデレ好きな自分にとって、いくらでも"萌え"の要素を含んでいる澪は、それまで好きだったかんなぎのつぐみの健気さの上を行くもので(自分的にね)、「造形のクオリティー高けえフィギアとかねーの?ちょっと尼見てくる!!」てな感じになっている今日この頃…
「えっ!?鮎川まどかとあかねはどーしたって!?」
「あーそれも好きですねークックックッー」
「…嫁は怒ってないかって!?」
「…あーえーと…別居しましたよー(大爆笑後、大号泣)」


| | Comments (0) | TrackBack (0)

MJ is Dead

今朝ネットをパラパラやってた時に知った、マイケル・ジャクソンの死。享年50歳。
どうゆうわけか、最初に思ったことは、「ああ…やっぱりな…」だった。
そんな”予感”は、幼児虐待あたりからのエキセントリックな行動が最初で、ほんの数ヶ月前、いきなりの長期ロンドン公演をぶち上げたとき、それは、死地へ向かっている”予感”ではなく”実感”に変わり始めていた。
自分的には、別段強い思い入れは無いものの、女を釣るために『BAD』の頃、東京ドームに観に行ったことがある。その頃ってのは、HIP HOPや、NJSの誕生間近のR&Bの勢いが次第に大きくなりつつあった頃で、『Off The Wall』からのプロデューサー、クインシー・ジョーンズとの大作然とした作品のマンネリ化が、これをピークに音楽的には本来のブラックミュージックからかけ離れ、同じ黒人からは揶揄されていた時期。実際、HIP HOPやNJS旋風吹き荒れる前夜、ディスコでマイケルの曲など掛かることが無かったし、仮に掛かったとしてもノリにくかっただろう。後に、時の人、テディ・ライリーに擦り寄って作り上げた『Dangerous』では、”天井人下野”じゃないけど、はやりの音で、バルセロナオリンピックのドリーム・チームに沸くマイケル以上のスーパースター、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンをなりふり構わずPVに駆り出し(エディ・マーフィー、Heavy D、ホーム・アローン人気のマコーレ・カルキン、ガキラッパーのクリス・クロスなんかもいた)権威回復を目論んだが(結構いい曲が多い)、そんな直後の虐待報道。それ以降のマイケルは、音楽的な評価以前に好奇の目に曝される珍獣のごとく扱いで、後の『HIStory』ではR.Kelly人気にあやかった『You're Not Alone』があったものの、以前ほどの注目をされることはもうなくなってしまった。

さて、芋ヲタ的には、YMOとマイコーの関係も語らなければならないだろう。
YMOのセカンドアルバム『Solid State Survivor』に収録されている『Behind The Mask』。いかにもロック然としたコード進行で作られたこの曲は、元々セイコーのCM用に78年製作したイントロ→Aメロだけだった曲にサビの部分を幸宏が追加して、『作詞:クリス・モスデル、作曲:坂本龍一・高橋幸宏』だったものを、プロデューサーのクインシーがLAのYMOのライブでこの曲を気に入りマイケル聴かせ、マイケル自身がメロディーを追加し補作詞をしたこの曲は当初、『Thriller』に収録される予定で、実際、トラックまで作られていた。そして、その話がYMOサイドに来たとき、マイケル側は法外な条件を提示してきた。

”版権を委譲し、クレジットにはマイケルの名前だけを載せること”

その話を前後して、作曲者である教授、幸宏間でこの曲の版権の分配を巡って争いをしていた…そんな問題がようやく解決した頃のこと、結局”作曲者”は、坂本龍一一人になったのだが、マイケル側から提示してきたその条件に加えて、「とりあえずどんなもん作ったのかデモを聴かせてみろや」という教授のオファーをもマイケル側は受け入れず、結局このトラックはお蔵入りになってしまった。後に、マイケルのアルバムを手伝っていたGreg Philinganesがそのマイケルが補作詞したヴァージョンでカヴァーし、何故かEric Craptonまでもがカヴァーして、周知の事となる。
あー、教授って凄いんだね。知ってたけど。[2009年7月7日加筆修正]

クインシーとの共同作業に脂が乗り始めた『Thriller』。派手なPVによって、表題曲だけがとりだたされるが、その最高傑作のアルバムの中に収められている『Billie Jean』。整形前の”本物”のマイコー。色も黒いし今見るとおかしな顔だが、それは、今を知っているからであって、その当時は何とも思わなかったのになあ。黒人であるというコンプレックスだったんだろうか。とにかく、ただただ合掌ですな。

マイケルの曲で一番好きなのはコレ。って、いってもリアルタイムでなく、DJを始めた頃にDISCOクラシックスとして聴いたのが初めて。80年代初頭親父に連れて行かれたムゲンの雰囲気が蘇ってくる名曲

| | Comments (2) | TrackBack (0)

こちら、久々の...入れ歯外してハーモニカ(大爆笑)

新曲の、「「ザ☆ピーナッツ」」 が、イイゼ!

どんな新曲だかしらんけんども、未だ”ちば”といえば”JAGUAR”という高貴なプライドのもと、町興しwの為にがんばっていらっしゃるご老体、八街の落花生とアナクロノスタルジックな”ザ・ピーナッツ”をかけてるわけですかね?
いやはや何とも、ほんのわずかな脳細胞で右下75°あたりをいくイマジネーションを駆使し、森田健作何するものぞの意気込み、おみそれしやした(大爆笑)

そういえば、まだやってたのねw需要あるの?
ちばといえば、いまや森田健作って、カンジなんだけど...

| | Comments (0) | TrackBack (0)

そして、あの夏のはじまり

さて、コミック版、アニメ、OVA、劇場版と、連綿と続く『きまオレサーガ』を辿ってきた旅もようやく、大団円?を迎えるべく、恭介がひかるを振り、まどかとくっついた『あの日にかえりたい』(以下”あの日”)から劇中の時間で1年程が過ぎ、高校を卒業し、同じ大学へと進学したまどかと恭介。
現実には、『あの日』の公開された1988年から、8年が経過した1996年に公開って...なんでそんなに時間が空いての続編だったんだろう? 
消化不良を起こしてた『あの日』のフォローをするんでも時間空きすぎだろ?

簡潔に結論だけ述べると、この作品は、”まどかと恭介がヤル”映画。いや、精神的にも肉体的にも結ばる映画。
といってもそんな描写は、冒頭と終盤に出てくるだけで、ハッキリ言って、この作品は、前作、『あの日』におけるまどかの存在感の薄さと、物議を醸したストーリー、中途半端な終わり方、それらのに対する反省の意味を踏まえた後日談以外の何物でもなく、ハッキリ言って蛇足。賛否両論だった『あの日』のほうのが、ある意味での結論で、まだ作る意味があったし、何しろキャラデザが高田明美でなく、なんとものっぺりした血の通っている感じがしない22歳のまどかのあの顔で、「SEXだよ」とか言われてもなんとも...
タイムスリップする状態にしてもイマイチ理解できない。交通事故のショックで恭介が3年後の未来にタイムスリップするんだけど、そこから戻ったときに、自分が自分に電話を入れるって、何で。その事故に対する記憶があれば戻ったときに自分自身が気をつければいいんだし、電話する意味無いじゃん。
まあ、それでも恭介が”鮎川”から”まどか”に呼び方がかわるきっかけとか、ボスニアから帰ってきた恭介が、それまでいつもオドってた立場から、まどかと対等に渡り合ってる姿とかが、この作品の一番の肝なんだろうけど。

空港で19歳の恭介が帰った後、まどかにケリ見舞われて、チラ見えしたパンツのあとに...
まどか「何言ってんだか。何ヶ月もほっぽらかしにしといて...」
恭介 「ゴメン、今日から何ヶ月も謝り続ける...ナンチャッテ...」
そんな臭い台詞、オレだって言った事あんだかんな!ホントだぜ!


| | Comments (2) | TrackBack (0)

あの日にかえりたい

(前回までのあらすじ)
夜中に目が覚めて偶然つけっ放しのテレビに映し出された鮎川まどか。その後、失われていた歴史を補完すべく、原作、テレビアニメ、OVAと順に攻め、いよいよ『きまオレサーガ』のクライマックス!...2本の劇場版へと侵攻していくkmrであった―ーーーー

さて、偶然テレビ版アニメに出会ったことによる原作(文庫版)読破から始まった「きまぐれオレンジ☆ロード」(以下きまオレ)ライフ。どっぷり浸かって色々ネットで調べていくと、未だDVD化されていない、レアな作品があるらしい。
1988年公開の劇場版一作目、「あの日にかえりたい」は、原作が好きなファン、アニメが好きなファン、両方の逆鱗に触れた。
実際にはテレビ版の時系列を踏襲しながらも、話の展開はそれまでのきまオレではありえないようなシリアスなモノで、まどかにせっつかれてひかるを徹底的な冷酷さで突き放す恭介、まるで脇役みたいな扱いのまどかと、終いには『同人映画』とまで罵られ、原作者のまつもと泉本人が不快感を表明するなど何かといわくつきな映画。
原作とアニメ、どちらの世界観ににも属さない鬱なパラレルワールド展開するわけだが、これって、自分が同じ状況に置かれたら普通にやることなんだよなあ…。ただ、これが許せないのって、結局、まどかのことが一番好きだと言う気持ちはゆるぎないのに、恭介自身の”優柔不断さ”が、このままの三角関係が続けばいいという日和見で、自分から動いたのではなく、まどかに決断を迫らせた結果の事なのでその辺りは、シナリオをやった寺田憲史の嗜好というか、恭介のそれまで優柔不断のキャラを重視しつつ消化不良気味だったテレビ版への決着をつけるみたいな側面があったかもしれない。ひかるが主役で悲劇のヒロインを演じ、あとはおまけみたいになってしまったところが残念ですな。
ま、偉そうに語ってますが、これを見たのが劇場公開からは既に21年が経過した今現在と言う事で、これはこれでいいと思ってます。とにかくたかがアニメなんで、そんなに熱く語るのもどうかとは思うけど、10代の頃に無意識のうちに自分の中で切り捨てていた、あんなに好きだった、まどかへの懺悔とでも言うか、自分は一体どうしちゃったんだろうな…なんて思ってますけどwww
この劇場版が公開されていた頃と言うのは、もういい歳だったし、アニメなんてほとんど見ていませんでしたが唯一見ていたのがOVAの『湘南爆走族』。自分的には眼鏡萌えの元祖、”津山さん”が、まどかのCVと同じ鶴ひろみさんだったんですね。
”湘爆”は、当時かなり好きで、12作あるOVAは10年がかりですべて見たんですが、きまオレのアニメをはじめてみたのがつい最近の事で、まどかが鶴さんだったとは知らず、”津山さん”好きだった自分は、鶴さんの声がきっかけできまオレにどっぷり嵌った原因でもあるとおもってます。
声優が誰とかっていう考えはついつい最近の事なんで、それほど興味のある分野ではなかったんですが、ドラゴンボールのブルマ、湘爆の津山さん、そして鮎川まどかと、気の強い、それでいて繊細な大人っぽい役をやらせたらナンバーワンの、鶴さんの声に惚れてしまっていた。
古谷徹、鶴ひろみ、原えりこと、きまオレキャストの同窓会みたいなOVAのDVDボックスセットの特典映像があって、その中で、髪を伸ばした鶴さんが、何かしゃべるたびその姿が鮎川に見えてしまっていたオレは、目がおかしいんだろうか?…

さて、これできまオレにも決着がついたと思いきや、本当の決着は、現実世界で8年後の1996年へと…

次回は、『あの夏のはじまり』であるワケであり…

| | Comments (0) | TrackBack (0)

夢のような80’S このときめきは・・・・忘れない

偶然の再会。いや、再々会…
きまぐれオレンジ☆ロードにどっぷりと浸かっている今日この頃…

中学時代、きまぐれオレンジ☆ロード(以下:きまオレ)がジャンプに連載が開始されてから、ある時期まではすごくアツくなって読んでいた。何話かはわからないけど、確か大晦日に恭介が、鮎川の家で年越しそば食べていた辺りまでだっただろうか…。丁度自分自身が高校に上がったころのことだったと思うが、そのエピソードを前後して、読むのを止めてしまった。当然、後にアニメ化されたこと自体は知ってはいたものの、一度も見たことがありません。最近まで。

それから、20年以上経ってからの久方ぶりの再会。
最初の再会は、去年、CSで見かけたのだが、アニメ初見だったにもかかわらず、そのときには”あのノリ”が、見ていて辛くなってしまい途中で止めてしまった。
そして二度目の再会。同じCSで、つい一ヶ月前の事だった。今回どうしてここまで嵌ってしまったのか…
多分精神的なものだろう。
最近ちょっと色々とあって、そんな苦痛も和らいできた頃に、夜中偶然目を覚ましてしまったときにつけっぱなしだったテレビから偶然目に入った、鮎川まどか… 
「そうだよ、ガキの頃、オレは鮎川にあこがれていたんだ…」
口には出さずとも同年代の奴らは、みんなそうだった。ひかるの良さなんてさっぱりわからんかったけど、鮎川の、あの、サラサラのロングに、幻想を抱いていた…
モラトリアムの時代だった80年代の懐かしい思い出が、色々蘇ってきてしまって…すぐに尼でポチってましたよ。単行本から、テレビ版、OVAのDVDのボックスセットまで…
うちのかみさんは歳が離れている(20代!)せいか、きまオレを全く知るわけもなく、連日、尼からの大量の発送を受けて、マジギレしてる。アニヲタだと思われてるしwww(違うんだって!)
でもそんなの全く気にしない。今は、鮎川がいるからw…ってゆーか、原作読み直したら、恭介の親戚のあかねも良くなってしまったワケであり…優柔不断です(大爆笑)

次回の劇場版編に続く...

| | Comments (0) | TrackBack (0)

あの子

どうしてあんな子なんか好きになったのかしら

ふとしたときにこのフレーズとともにあの叙情的なアニメの映像に対するかすかの記憶が現れては消え、現れては消えていく。麦藁帽子をかぶった女の子が”その男の子と”道ですれ違うたび、その男の子が女の子に気があるのか照れ隠しのつもりでかいつもいじめてしまう。女の子のほうも最初はそんな不遜な男の子の態度に嫌悪するがいつしかそれが淡い恋心に変わっていくという、まあ、こんな感じの歌詞の内容だった。曲は『あの子』、歌うのは桜井たえ子。
子供の頃はどっちかというと『ポンキッキ派』で、ビートルズやオールディーズの曲を覚えたのも各ショートコーナーでBGMに使用されていたポンキッキで、アルファベットを覚えたのもポンキッキだった。放送される時間は違えどあまたある当時の子供向け番組の中でひらけ!ポンキッキは自分の中ではワンアンドオンリーなのだが、当然子供的には放送時間差があるので流れで順に見ていくわけです。で、この『あの子』ですが、この曲はポンキッキの前、朝の7時代、NTVの『おはよう!こどもショー』の中の歌のコーナーで、峰竜太や海老名みどり、ゴッドマン、ロバ君などの記憶は全く残ってなくこの曲だけのインパクトだけが強烈に残り、多分、80年初頭まで放映されたりされなかったりしていたんではないんでしょうか。

うそつきでいじわるで 約束はやぶる 
乱暴で口下手で 友達もいない
名前は呼び捨てにする 背中をいきなり叩く
リボンをほどいて逃げる 私をいじめてばかり
どこがいいのか あの子 何がいいのか あの子
だけどだけど 一日一回会わないと 気になるのよ 

自分が記憶しているのは冒頭の「どうして~」からつづくこのワンコーラス目だけ。動画サイトなどで探してみたが全く見つからない。当時のビデオデッキ普及率からして現存しているのが奇跡に近いだろうから仕方ないことだが、長年お蔵入りになっていた大都会全シリーズが日テレ+で放送される時代、ゴッドマンや小太郎を発掘したファミリー劇場あたりが一部でも放送してくれることを期待しつつ・・・

| | Comments (0) | TrackBack (0)

寝台特急富士・はやぶさ

寝台特急富士・はやぶさ号が2009年3月13日、午後6時3分、東京駅から九州、鹿児島、大分に向けて最後の出発をした。東海道本線を走るブルートレインと呼ばれる編成もこれで無くなってしまった。
幼少時代の記憶のある中で、初めて何かに強い興味を抱いたのが車でもウルトラマンでもなく電車、特にブルートレインだった。その頃はEF65-500番台で20系客車、後に1000番代、24系、14系、15系に変わりテールマークがイラスト化され、小学生のとき、日曜日にはよく大船の踏切に一眼レフ片手に朝から撮影に行っていたものだ。富士、はやぶさ、あさかぜ、みずほ、さくら、出雲、瀬戸、紀伊、(通過順は失念)と次々にやってくる列車に胸ときめかせ、何枚もシャッターを切る。そんなことに夢中になっていたのを昨日のラストランで思い出した。
しかし、自分が成長していくつれ、次第に興味の対象が変化していきその後は今に至ってまで音楽一筋なのだが、数年前、CSで向井さんと川島さんの『鉄道マニア倶楽部』を見始めた頃から再びブルートレインを含む全ての鉄道への興味が再燃した。それまでの間、EF66に変わった富士はやぶさと統合され、あの頃順番に大船駅を通過していった他の寝台特急は全て廃止され、今や北斗星とカシオペアだけ(かな?)になってしまった。
ところで自分は、一度だけ寝台特急に乗ったことがある。中学の修学旅行の帰り、青森から上野まで乗った常磐線経由ゆうずる583系。電車寝台だが三段ベットの一番上で小さな窓から外の暗闇の中の景色を見ていてなかなか眠られなかった思い出。今後こういう思い出は北斗星にでも乗らなければ作ることも難しくなってしまった。といっても北海道行くならやっぱ飛行機だと思うし…
なくなってしまうから寂しい、昔を思い出した、なんて鉄になりきれない半端な鉄の自分ですが、昨日のラストランを動画で見て涙が出たのは嘘ではない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ペンコレデーMEGAMIX

自分の一番残念なところは、”継続は力なり”というアティチュードが無いこと。
「若かりし頃は~」などというオッサン口調でしかモノを語れないのは最大の弱点である。
今もまだ続けていればもっとインプルーブされていたものがたくさんあって、”広く浅く”の典型のようなキャリアを積んできましたが、これもそのひとつ。
ちょうど20年前にさかのぼりますが、1989年、それまでバンド一筋にやってきた自分がDJにはまり、ターンテーブル2台とミキサーを購入してミックステープやリミックスなんかに手をつけ始めた最初期、ラップやハウスのレコードハンティングのついでに、ハンター通いで集めた投売りアイドルレコードを集めリミックス。これはメガミックスっーやつで、4トラのMTRを駆使し録りあげたもので、覚えたてでド下手なスクラッチがこれでもかとしつこく入っているが構成自体は結構気に入っている。
最近、過去のカセットテープのデジタル化ということで自宅から発掘された自分的にはお宝音源なのですが、これと同時期に作ったはずの『GUITARYTHM Remix』、『JODAN JODAN Remix』、『贈る言葉 Remix』がまだ出てこない。ま、ほかのヤツはこれほどの完成度は無かったはずなのでよしとするか。

| | Comments (15) | TrackBack (0)

っすっ。

ふと気がつけば2008年も終わり、何故か毎年元旦には欠かさない新年の挨拶となりました。
何故毎年元旦だけは更新を欠かさないかというと、「暇だから」なのである。12月の休みの取れない忙しさからようやく開放されてのんびりしているところに、「暇だ…」「なんかやることネエ?」「しょうがないから更新でもすっか」てな具合になるもんで、ジャガーオンリーのブログを止めて4年目、つーことでタイトルも”シーズン4”と相成りましたw
2009年、今年は”Next 10 Years”の始まり、つまり40代の始まりでもあるわけで、ひたすら我慢するだけだった”Past 10 Years”、30代の終わりを待ちつつ、これからの10年は、”Magnificent”(魅惑で)、”Brilliant”(きらきら輝いた)な瞬間になれたらと…
YMOの結成30周年を終え、小学生だったクソガキはオッサンになり、寄る年月に逆らいながらもとりあえずは安定した職に就き、人並みの生活を送れていること自体、過去の怠惰な生活をしてきた元祖ニートの自分にとっては幸運以外の何ものでもないが、まさに正念場、40歳になる今年、一体何がカワル?

| | Comments (0)

2001 Google Serch

かつて、自ら葬ったなつかしのクソサイトが、2001 Google Serchよって蘇ったwwww
流石に画像は吹っ飛んで見れませんけど、テキストだけ見てても、よくもまあ、こんなものをコツコツと構築したもんだなと我ながら感心してしまいますわw
あの頃、とてつもなくロースペックなラップトップで一生懸命作ってたっけ。一体なんだったんだろうね?あの情熱はw
ツーコッテ(懐かしw)、ごゆっくりお楽しみ下さいwww(リンクを辿るとあの、伝説の、”だまってJAGUARに.COM”も見れるよw)

邪我火布絵2000

| | Comments (4) | TrackBack (0)

今なぜか、おニャン子ブーム再来である。(イヤ、自分の中でねw)

巷で密かなブーム…でもなんでもなく、今なぜか突然、猛烈に『おニャン子』という存在が他のナニモノよりも大きくなっている。
なんで?さあねえwww
きっかけは確かにあった。CDラックの整理をしていたら、たまたま『夢カタログ』を見つけ、久々に聴いてみた。確か10年以上前に中古屋で見つけたものだったか…。ただ、この行為は今まで1~2年単位であったことで、今、何故この時期、おニャン子解散からすでに21年目を向かえる今、自分の心奪われてしまうほどになってしまったのかは全く分からない。数年間隔で行われる同窓会や再結成にも何も反応しなかったのに…
今の自分は20数年前に遡って、”夕ニャン”を見るために早めに帰宅する高校生の気分。毎日、何か心の中にモヤモヤがあったあの頃の感覚…当時まさに高校生だった自分にとって、おニャン子クラブ、夕やけニャンニャンはまさに青春の1ページだった。とはいっても、レコードやグッズに金をかけるわけでもなく、レコードはレンタルで済まし、SailorsもHip's Roadもひとつも持ってなかった。コアなファンからすれば完全なライトユーザーかも知れないが、当時ミュージシャンを目指して日夜練習に励んでいた自分は、いずれプロとしてやっていく暁には後藤次利の様な存在になって、”プロデュース&おニャン子と結婚”という妄想に耽っていた別の意味でコアなファンの一人だった。
おニャン子の中では、新田恵利、国生さゆり、河合その子、美奈代、満里奈といったところが好きだったが、そんな中でも一番好きだったのが、会員番号14番、富川春美、通称”お富さん”で、本気で結婚したいとまで思ってたほどに惚れてたwww(アホだよw)お富さんは当初、存在感が薄い方だったが、フロントどころが次々にソロデビューしていくにつれ、『お先に失礼』あたりから次第にフロントに立つことが多くなった。それまで自分ひとりのお気に入り的なレア感があったのに、目立つ様になると”自分だけのお富さん”でなくなるうれしくも悲しいジレンマに陥ったのを覚えている。
ま、そんなおニャン子、夕ニャンも、バンド活動が本格的になるにつれ自宅でテレビを見る時間もなくなり次第に気持ちも離れていってしまうわけです。「ああ、こうやって大人になっていくんだなあ」なんてしみじみ思ったもんですよ。ワケわかんねーけどwww
夕ニャンを見なくなった86年後半から87年の解散までは、曲も全然分からないし、誰がソロデビューしたかなんてさっぱりわからなくなってしまっていて、すでにおニャン子も自分の中では過去のモノと化してしまいました。その頃彼女も出来たしね。過去の色々な妄想も全部飛んじゃってたし。自分はそんな感じでおニャン子から卒業したわけですが、夕ニャン最終回だけはしっかり見ましたよ。泣いたよ。マジで。一度は気持ちもおニャン子から離れてしまってったのに、この最終回は、なんか、青春が終わってしまったような感覚。オールナイトフジ女子高生スペシャルからずっと見ていたし。後にオールナイトフジ最終回で感じた”ひとつの時代の終焉”と同じ感覚だった。「”瞳の扉”っていい曲だよな~」って、感じたもの。
いま、家にある86年の夏あたりまでの録画してあったビデオを発掘してあの頃に浸り、一番の愛聴盤、『夢カタログ』を聴いてしんみりしてるところ。『アンブレラ・エンジェル』『恋愛お見舞い申し上げます』『窓から見てるP.T.A.』など好きな曲がたくさんあるけど一番好きなのが、『星座占いで瞳を閉じて』。いい曲だよね。今聴くと大爆笑な歌詞だけど…


夕ニャンのなかじ卒業時の『星座占いで瞳を閉じて』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

THE ROOSTER"S"

まー本業の方が忙しい・・・とうのは建前ですが、ネタは沢山あるんですが、いかんせん文章にするめんどくささから更新を滞っておりました。お久しぶりっすK森っすwww(誰も見てないかw)
つーこって、久しぶりにブログの更新でもしますか・・・ってなモンで書いてますが、最近のネタとしては相変わらずYMOですな。今年も去年同様お三方が揃うようですが、HASYMO関係の楽曲を演奏するならYELLOW MAGIC ORCHESTRA名義でライブやらない方がいいんじゃないかのなんて最近思ってます。まあ、便宜上そう名乗るざる得ないのは分かるけど、以前ここでも書いたようにファンとしては過剰な期待を抱かざるを得ないんだよなこの名前でやられちゃうと。「昔の曲やれよ」っていう風になっちゃうんだよね。ニカの免疫もそれほどついてないもんでwww
まあYMOに関しては、最近はレア音源の収集ぐらいで、他にはまってるのがTHE ROOSTERS。"Z"じゃなくて"S"のほうね。いわゆるオリジナルメンバーの初期の頃のやつ。申し訳ないが、ハッキリいってこのオリジナルメンバーの時代はリアルで全く聴いてなかった。もちろん存在は知っていたけど。じゃあなんで今頃ROOSTERSなのか?きっかけは偶然だった。CSで大江慎也のドキュメント『どこへ行こうか』を見て、やられた。完全な見落としだった。ガキだったこともあり、当時はBOφWYの影に隠れていた。ルックスで。っていう軽薄な理由で。
そのドキュメントで、フジロックの再結成解散ライブがちょっと流れてて、年食ってみんなオヤジになっちゃったけどこれがかっこいいんだ。氷室や布袋には出せない風格。かつては一歩間違えればジャニーズ系?とも見えた大江は、特に苦悩の時代を乗り越えて来た風貌から特別なオーラが画面からにじみ出てた。自分自身、40を目前にした今だからこそ理解できたのかもしれない。
それがROOSTERSだった。
とりあえず、「ニュールンベルグでささやいて」は名曲だと思う。

| | Comments (0)

こんばんわ、坂本龍一ですw

某所から、教授のサンストのファイルをまとめて落としてIPODに入れて通勤途中に聴いております。
リアルタイムでは、83年から84年にかけて何回か聴いていたことがあったんですが、いかんせん当時住んでいたマンションというのが、NHK-FMの電波の入りが悪くて散開前後と音楽図鑑発売時期に何度か聴いた程度でしてwとてもじゃないがエアチェックしてませんでした。
で、今、1981年の第一回目から順に聴いていってるところなんですが、この81年というところが、私にとっては肝でして、この第一回目の放送が4月、ちょうどYMOが『BGM』をリリースしたちょっと後、いわゆる”中期”は、リアルではあまり興味の無かった時期でして、時がたつにつれようやく色々と調べ始めたくらい、初期や散開期に比べるとあまり情報収集出来ていなかった時期でした。 
後年、色々出版されたYMO関連の書籍などをみてみても、”教授とホソノさんの仲が悪い”とか、”メンバーが順番に神経症を患った”とか、ウインターライブよろしくまさに冬の時代だったというような認識がどうしてもついてまわってしまうのですが、この81年の一連のサンストを聴くと、確かに”そういったこともあったかもしれないが”、本音の部分では、実はとってもYMOを楽しんでいた、仲が悪いなんていうのは表向きのポーズなのではないだろうか。というところが見え隠れしていて興味深い。ま、実際は、アーティストとしてのエゴのぶつかり合いなんで、人間的に仲が悪いというわけではないということぐらい分かっちゃいますがねw
実際、ゲストのいないときの教授のテンションは限りなく低くいのに、ホソノさんやユキヒロがゲストで呼ばれてるときとかは本当に楽しそうに話してるのが伺える。
かかる音楽もニューウェーヴ全盛期の頃なので”ソレ系”が多いし、これは、リアルで毎週まじめに聴いていたらまた今と違った音楽知識の蓄積や自らの方向性があったかもしれないと思うと途轍もなく残念で仕方ない。決して言い過ぎでは無いと思う。
とりあえずユキヒロが出た回で、エータンが一緒に出ていたのにはびっくりしたwwwなんで?www

| | Comments (0) | TrackBack (0)

TECHNOPOLIS 2000-20

昨日(7日)は京都で、復活!”YELLOW MAGIC ORCHESTRA”として、LIVE EARTHのステージに立った3人ですが、短い持ち時間の中、演奏された曲が、5月にパシフィコ横浜で行われた”HAS”のステージで演奏されたものからの”抜粋”みたいなモノだったらしく、
わざわざ”YELLOW MAGIC ORCHESTRA”を名乗って出演する必要性があったのか疑問でファンをがっかりさせる内容だった様だ。
そんな折、ネットで京都のステージの情報収集をしている過程でステキなものを見つけた。
1980年、YMOの国内ライブツアー、「TECHNOPOLIS 2000-20」のMP3ファイル。
Behind the maskから始まり、La femme Chinoise, Rydeen, Solid State Survivor, Day Tripper, Fire Cracker, Technopolis, Citizens of Science, Tong Pooの9曲。
一番のキモだった超高速The End of Asiaは入っていませんでしたが、今まで商品化されている音源も無く、兼ねてから事あるごと、しつこいぐらいに「聴きたい!」といっていたものなのでこの偶然に感動しています。
前年、79年のワールドツアーから、この年、80年の2度目のワールドツアーに挟まれたこの国内ツアーの音源。この2つのワールドツアーと聴き比べるとこの一年間の間でいかにしてYMOが変貌を遂げていったのかが良く分かる。バンドアンサンブル的にはまだ粗いところがあるものの一番勢いに乗っている時期の演奏だけあってどの曲も「実にかっこいい曲ばかりwwww」
特にLa femme Chinoiseのフランジングがかかったユキヒロヴォイスうねりまくりの”フー・マンチュー唱法”と、鮎川誠と大村憲司のツインギターによるDay Tripperのリフのユニゾンはかなり感動。京都なんかどうでも良くなってきたwwww

| | Comments (0)

未来派野郎/坂本龍一

Ts3c0052 84年に大貫妙子や矢野顕子らと共に立ち上げたMIDIから出た教授のMIDI移籍第二弾アルバム。1986年発売。

フェアライトとDX-7を大幅にフィーチャーし、同時期に細野がやっていたFOEの”OTTなテクノ”に対する、イタリアの未来派運動をモチーフに全編フェアライトによるサンプリングが散りばめられた”YMO以後”のテクノの方法論への教授の回答。細野へのプロテストとも受け取れる。M-1の「Broadway Boogie Woogie」でのメイシオ・パーカーの参加が、細野に対する意趣返しにも取れる。

1200万もした夢の楽器w、フェアライトCMIも、当時は8ビット性能しかなく、今の廉価なDTMにも劣るクオリティで、今改めて聴きなおしてみると非常にサンプリング音が粗く感じるのは気のせいか。そんな粗さの中にあって、M-7の「大航海」は、アナログからデジタルへの転換期であることと、テクノというモノがそれまでのニューウェーヴ的なアティテュードからヒップ・ホップへと移行した時期と同調するように、細野のFOEにも通ずるような過剰なビートが隙間無く埋められ、そこにショコラータのかの香織の転調を繰り返すボイスがバックトラックを凌駕するがごとく乗せられ、”デジタルフュージョン”のインスト曲、「黄土高原」と共にこのアルバムを代表する作品に仕上がっている。

このアルバム、80年代にCD化されて以来、解散したMIDIの音源の原版管理をどこがしてるのかわかりませんが、(やのミュージックか?)未だにリイシューが出てこない。(そういえばFOEもリイシューされないな…)

このアルバムを引っ提げて3ヶ月かけて、わりと全国くまなくまわるツアーを敢行、87年の「NEO GEO」のツアーまで付き合うバーナード・ファウラーやデヴィッド・ヴァン・ティーゲム、小原礼などをサポートに迎え、ヤマハのMIDI付きの特注のグランドピアノ「GPM」をフィーチャーし、 Ts3c0054Ts3c0055それまでのYMOのステージ等とはかけ離れた、小室バリにショルダーキーボードまで持ち出した”はじけた”躍動感あふれるライブを行う。ソロとしてはこの頃の教授が一番「体張ってるな~」的な感じで好きなんですけどもう無いよな。ジジイだしwww



画像は、我が家に眠っていた「KB SPECIAL」の86年5月号、未来派野郎特集。

| | Comments (0)

SIMMONDS SDS-5

Simmons_2
83~85年あたりまでの日本の歌謡曲でよく使用され、YESのロンリーハートのオーケストラヒッツと共に、一世を風靡したといってもいいシモンズのシンドラ。
英国SIMMONDS社の製品で、各パッド毎にモジュールがあり、タムの乾いた音色が特徴。かつてYMOが使用した、ピュンピュンいってたアルト・サウンドやポラードのシンドラとは全く別次元のもので、私の場合、83年のYMOの散開ツアーで、ユキヒロのドラムキットとして使われていた事で初めて知ったものなのだが、それ以前81年ごろには既にジャパンのスティーヴ・ジャンセンが使っていたから、日本に入ってきたのが遅かったのかな?

六角形のパッドが特徴的で、散開ツアーのユキヒロの場合は、ベードラ、タムはそのままの音色を使っているが、スネアに関しては、リンドラムをトリガーさせ、ご丁寧にもパッドは、スネアスタンドに鎮座させて、ウインターライブの時の649のトリガーで鳴らしてたスネアを多少ピッチを高めにしてリヴァーヴをかけて鳴らしていました。
このシンドラが、中森明菜の「禁区」のイントロや、C-C-Bの笠の基本キット、ついにはシブがき隊の薬丸がステージに置いてイントロで叩いたりと、歌謡曲などでの使用で一般的に認知されると、今度はドラムの各メーカーがこぞって類似品を出し、イシバシ楽器には、「ROKKAKU-KUN」なるパチもんまで登場します。

個人的にはPearlから出たヘッドをチューニング出来るヤツが好きだったですけど、当時のバンド編成上、全く使用する必要性が無かったので全く持ってませんでしたがwwwただこのシンドラのキットに収まっているユキヒロを見てその見た目のインパクトの強さがドラマーを志したきっかけとなったので、このシモンズのシンドラには、いくらデヴァイスが進化して過去のものとなってしまった今でも、憧れというか、このキットに収まってる自分の姿を想像したりしますwww

| | Comments (0)

電子音楽 in the (Lost) world

519xa88em3l_ss500_ 2ヶ月ほど前に出版された田山某氏監修の『YMO GLOBAL』。
この本は、YMOから始まる、「影響を受けた」、「与えた」、「同時代に活躍していた」、など、内外を問わないたくさんのアーティストの作品群を俯瞰した本なのだが、何ともいい難い違和感を感じる。教授的に言うと、『電子音楽~』を換骨奪胎して、劣化させたものだからだ。それ以上でも、それ以下でもない。

新たにYMOを知ってのめりこみ、その音楽的な広がりの中に飛び込んでいる最中のリアルタイム世代では無い人にとってはこんな本も、一つのガイド本として十分役に立つのでしょうが、リアルタイムで接してきた、アナログ時代からずっとYMOと付き合ってきた人たちにとっては、既に周知の紹介されている作品の薄さ、「これがあるのに、アレが無い」的なモノ、更には一般的史観に基づいてコメントされるべき紹介文に独断と偏見に満ちた理解しがたい言葉の羅列、「~的」、「~といわれるが…」、といった不確定なものの言いよう、どれをとっても新たな知識の蓄積になりえない紹介文を挟むように、FOEの野中氏や、アートディレクションだった奥村氏、YMOプロデュースでアルバムを出した近田氏などのインタビューでとりあえずの体裁を整えてる感じ。こんな事なら、田山某氏の前作、『Nice Age』の様に関係者のインタビューだけで本を出した方が意味があると思った。
教授のシングル、「War Head」に付いたコメント、

『実にかっこいい曲だ』www 

こんなコメントを見たときには、自分が思っていた”ガイド本”というモノに対する違和感はハッキリと「これは違うだろ?」という認識に変わった。

この本から、そんな”違和感”を私が感じたのは、これから紹介する田中雄二氏の「電子音楽 in the (Lost) world」の存在を知っていたからに他ならない。以前、『電子音楽インジャパン』をこのブログで取りあげた時にも述べたが、電子音楽の発祥から、ポピュラー音楽に電子楽器、機器が取り入れられ、YMOを経過して現在に至る電子音楽の歴史を彩ったあまたある作品を余すところなく紹介したのがこの本。この本を読み進めるにつれ、”YMOの時代”は確かに大きな、一番影響を与えた時代ではあったが、一つのカテゴリの中としてみればほんの小さなあまたある流れの中の一つに過ぎず、今まで、YMOの影響によって広がっていった自分の中の蓄積された音楽観というモノが、YMOも知らず、それほど音楽に詳しくない人に対しての、上目線の独りよがりな不完全なものだという事をイヤというほど思い知らされる。

音楽というモノは、人それぞれに思い入れやその作品に伴った思い出などが付随して、どんなものにもそれぞれ語られるべきモノが必ずある。せっかくYMOという音楽に対して常に真摯で、新しい事を始めて来た3人のファンであるのに、”YMO”の世界から抜け出さず狭量な考えを押し付けるのはもったいないと思う。
今年、HUMAN AUDIO SPONGEとして3人がリユニオンするまで、自分自身もそういった考えの中から抜け出せないでいたが、3人の再集合とこの本によって、自分もそういった世界から半分ぐらいは抜け出し始めているかな?と、思っている今日この頃…。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

HASYMO

前のYMOの項で、「HASをやった後にYMO名義って…」と訝ったのですが、3人公式のサイトからも正式にアナウンスされ、”YELLOW MAGIC ORCHESTRA”として7月、京都で復活するようです。
別名ASHIMOならぬHAS+YMOで”ハシモ”wwww

あんまりよく知らない人から見れば何が違うのかはよくわからないと思いますが、YMOというのは言わずと知れた、”YELLOW MAGIC ORCHESTRA”の略称。
YMOという呼び方は、元所属してたアルファレコードが商標登録していまして、93年の再生時にはXをつけて「さて何と読む???」といった感じで、そのままの形で使えなかった。
HUMAN AUDIO SPONGEも最初は、それを意識してのものかと思っていたんですが違うようで、懐古趣味で過去を振り返るより、前向きに先を見据えた新しい音楽を、”たまたま元YMO”の3人が集まった的なユニットと私は捉えているんですが。
ちょっと気になるのは、5月のHAS、そして7月の”YELLOW MAGIC ORCHESTRA”と動き出してしまうと、SKETCH SHOWの存在意義が、限りなく無くなってしまった様な…。

”YELLOW MAGIC ORCHESTRA”というのは、ごく初期、1979年までの活動期のみメインで通用していた名義で、翌1980年からは、略称の”YMO”が前面に出て、正式名はサブタイトル的なところに落ち着いてしまった。81年の2作、そして83年の散開時を、正式名で語ると非常に違和感を感じます。何が言いたいかというと、今回の正式名名義は、まだほとんどの演奏を人力に頼っていた初期のバンド然としたノスタルジックな雰囲気をかもし出してるということ。すなわち、過剰な期待を抱かざるを得ない含みをこの中から感じ取っている往年のファンは私だけでなく多いはず。
来年、結成30周年を迎える節目を前にして何故あえて3人が集まって大々的に活動を始めたのか…。相も変わらずのらりくらりとしてるメンバーを尻目にファンは、また気の抜けない日々が始まってますwww

余談ですが、この復活劇の外馬に乗っかって書籍版”アルファ商法”で一儲け狙ってる?田山某というライターがここのところ暗躍していますが、彼の著書はあまりにもヒドく、知識の蓄積にも何もならない”仲良しYMOクラブ”の同人本なんで、もし書店で手にとっても買わないで、メンバーの関係者インタビューのみ立ち読みすることをお勧めします。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

GUITARHYTHM/布袋寅泰

2013214_3 時の経つのは早いものでかれこれ20年近く前になってしまいますが、BOΦWYのギタリスト、ホテイさんが、BOΦWYの解散後の1989年、初めて出したソロアルバム「GUITARHYTHM」

これって、よく勘違いするんですが、COMPLEXの前なんですよね。

YMO散開後、バンドをやりたいと思っていたところに到来したインディーズブーム。その直後のBOΦWYのブレイクによって始まったバンドブーム。
YMOヲタだった自分の中では不自然な流れではありながらもバンドをはじめる手本となったのがBOΦWYであり、周りに流されるままに聴き始めたのがBOΦWYを知るきっかけ。

それまで、ギターという楽器は”どテクノ”な自分にとっては無縁の楽器で、その認識を改めさせてくれたのが土屋昌巳であり、さらに自分達が組んだバンドが発展していくにつれそれまでYMOオンリーの狭量な考えから完全に脱却させてくれたのがホテイだった。

このアルバムが出るまでは、YMOとBOΦWYの関連性なんて、だんだんテクノっぽくなっていった「BEAT EMOTION」(松武さんが参加していた)でわずかながら感じていたものの、このアルバムが陽の目を見ることによって、ようやく自分の中で、二つのバンドがテクノロジーによって繋がった瞬間だった。(その前にはユキヒロのEGOに客演したこともあったし。)

そして、このアルバムを引っさげて、サポートに恒松、土屋昌巳、元ルースターズの池端、PINKのホッピー神山、YMOのローディーだった藤井丈司という超豪華メンバーで代々木体育館で初ソロライブ。
この時、私この場にいまして、イントロダクションの「LEGEND OF FUTURE」から「C'MON EVERYBODY」イントロに繋がっていくところでは何故か涙が出ましたよwww

この「GUITARHYTHM」、短命だったCOMPLEX解散後、再び始まり、「Ⅱ」、「Ⅲ」…と続くのだが、自分が聴いていたのはⅢまで。丁度この頃YMOが再生して、アルファ商法にまっしぐら…という感じになってしまって離れてしまった。枚数を重ねるたびに俗っぽくなってしまったし…。

海外進出を視野に入れていたのか全編英詩で、曲のクオリティ自体も非常に高く「この路線で突っ切っていくのかなあ…」と当時は思っていましたが、ホテイさんの長いソロキャリアのなかで、このファーストを超える作品が出てこないのが残念です…と思ってるのは俺だけかな?www

|

«ドラマーとしての記憶